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現代のTRIZ

I.L.ヴィケンチエフ「TRIZ教育の生理心理的基礎」

著者のイーゴリ・レオナルドヴィッチ・ヴィケンチエフ (Игорь Леонардович Викентьев) は1957年生。1998年にアルトシューラが認定した65人のTRIZマスターの一人です。

「TRIZ教育の生理心理的基礎」は1991年に書かれた論文で、当初はアルトシューラの下で発行されていた『TRIZジャーナル』に発表されたものです。著者が1980年代にレニングラードの工場に付属する少年教育施設で行ったTRIZ教育の実践に基づいてTRIZ教育を行う上での生理心理学面での基礎を説いたものですが、現在TRIZを教えようとする人々にとっても学ぶ点が多々あると思いました。著者の快諾が得られましたので翻訳を掲載することにしました。

この論文には著作権があります。
日本語の翻訳の著作権はサイト管理者にあります。
無断転載は禁止いたします。

原題:Психофизологицеские оснобы обучения ТРИЗ
初出:『TRIZジャーナル』No.2.2. 1991, pp. 18-23.
(Журнал ТРИЗ № 2.2. 1991 г., с. 18-23.)
現在の原文掲示箇所: http://www.triz-ri.ru/triz/triz09.asp

TRIZ教育の生理心理的基礎

I.L. ヴィケンチエフ
「TRIZチャンス」グループ

 TRIZ教育のあり方には、教えることの基礎が従来の教育の仕組とは違い知識の伝承ではなく{思考を含む}行動の仕方の伝承に置かれるという特徴があります。

 これを踏まえて、下のでは、教育によって伝承される行動を生理、感情、情報、方法の4つのレベルで捉えることを提唱しています。

 また、下記およびでは、アレクセイ・ウフトムスキーによるドミナントの考え方をTRIZ教育を実践する際の基礎とすべきことが提唱されています。

1.教育によって何を伝えるのか?

 「学校や大学では何を教えていますか。」
 10人に聞けば10人から「もちろん知識を教えている。」という答えが返ってくるでしょう。
 それでは、
 「学校や大学でマスターしなくてはいけないことは何でしょうか。」
 こう質問された人の多くは答えに戸惑うことでしょう。
 筆者の回答はどういうことでしょうか。

 背景にあるのは、ヨーロッパ文明の発展に伴って、技術や社会構造が刷新される間隔が個人の一生の長さと比較して時代とともに益々短くなっていることです。このため、家庭や生産の現場で「父から子へ」と経験を伝承するスピードと生産革新のスピードとの間の折り合いが取れなくなってしまいました。そこで、公教育ということが始まりました。その基礎となった考え方は今日でも変わっていません。比較的短期間の間に生徒たちに一定の知識を与えなくてはならない。そうすれば、卒業した後には。教育がやってきたのはそこまでです。卒業した生徒たち学生たちには、一番難しい、教育によって与えられたバラバラな知識を自分で結びつける課題が残されることになったのです。

 筆者は、元設計技術者ですが、現在の大学で機械工学を学んだ卒業生は独力でボルトやナットの図面を描いたり、その生産工程を設計したりすることはできないということを目の当たりにしました。もちろん、できるのが当然ですが、できないのです。こうしたことをするには応用力学、素材強度、機械の構造、製図、金属加工技術などなどの知識を実践的な水準でまとめる必要があります。ですから、新米の技術者は古い図面を取り出して、先輩たちがやった類似の仕事を参照しながら自分にとって初めてのボルトの図面を引くことになります。

 別の例ですが、ソ連邦保健大臣のエヴゲーニー・チャーゾフの1987年の調査では医科大学卒業生の40%は実践的な技量を全く持っていないとなっています。これが——「父から子へ」伝承されていた 「行動」(重要なタームとして使っています)ではなく——知識を伝承することとをやってきた代償なのです。

 「行動」という言葉は様々な意味を持っていますし、極めて多様に解釈することが可能ですから、今後ターム「行動」とはPEIM (physiological, emotional, informational and methodological levels) すなわち人の活動における生理、感情、情報、方法の各レベルの間の統一と葛藤とをまとめてさすことにします。(図1.参照)

図1.
図1.

 もちろん、ここで行動を4つのレベルに分割しているのは暫定的にそのように区別を設けて捉えるという意味です。

 思い出してみましょう。古代の哲学者のまわりには弟子たちが一緒に暮らしていて、世界の見方について常に言葉をかわし、師を模倣していたのには訳がありました。世界を知りたいと考える人々が教え・学ぶためには、これが唯一の方法だったのです。いや、今日でも、宇宙飛行士、医師、研究者、パイロット、俳優、教師などの複雑な仕事を身につける際には知識だけでなく行動の伝承が行われています。航空学校の生徒たちは指導員と一緒に空を飛んで、文字通り全身の筋肉、すべての感覚を使って空を飛ぶ技術を身につけています。ところが、新米のTRIZ教師は生徒たちに、例えば、創造することの喜び、自分自身で発見を行うことの喜びを身につけさせることを忘れて(あるいは、それができないから)発明の公式を{知識として}教えているのです。

 TRIZを学ぼうとする「少年発明家」が落ちこぼれてゆく原因はここにあるのではないでしょうか。

 ヨーロッパ文明は自然の征服に熱中するあまりに人間に制約をつけてしまうことになったのではないでしょうか。あるいは、行動の様々なレベルの中から合理的理性(私たちのタームに沿って言えば、情報レベル)だけを取り出してしまったと言えます。ところが、良い教育とは、知識でなく「行動」の伝承を目標としたものでなくてはならないのです。

 創造的な行動の伝承が行われないと、どういうことになるでしょう。

 ソ連邦国民教育国家委員会のゲンナージー・ヤーゴジンのデータによれば、高い才能に恵まれている見なせる者の子供の比率は全体の2-3%にすぎないといいます。高い才能を持った人々の比率は実際にはもっと高いのだと信じたい気がします。しかし実際に、学校を卒業した時点で独創的に考え行動する子供の数は多くありません。

 私たちは矛盾に直面しています:

  • 社会が進歩してゆくためには創造的な人々が必要です。
  • しかし、公教育によっては生徒に創造的といえる行動を身につけさせることができません。

 外国ではこの矛盾をどのようにして解決しているでしょう。

 近代になってオリンピックが復活して以降優れたスポーツ選手を探し求めることが始まったのと同じで、現在は「すでに能力のある」子供を探しだすことが行われています。USAでは1000人の中から子供を抽出してブロンクスにある神童学校に集めるということが行われています。同じアメリカの17の州では才能豊かな子供のための特別インターネット学校が開設されました。こうした学校が一人の子供にかける経費は最大年間16000ドルといわれます。

 もちろん「すでに能力のある」子供たちについて手を打つことも有益な手段ではありますが、戦略的には行き止まりです。何故でしょう。能力のある技術者、医師、法律家、教師は常に不足しているからです。好むと好まざるに関わらず、私たちは創造的になるように子供の時から教育を行うという課題に取り組まざるを得なくなります。その際、2つのケースが考えられます。

第一は、より望ましいケースです。
ごく早い時期から創造的環境の中で養育を行うことです。(「胎教」についての研究も行われています。)

第二は、いわば、現実の必要に迫られて行うことです。
例えば、生徒たちに創造的な活動を大量に行うような精神的特性を植え付ける矯正であったり、子供たちが創造の道に進むように手段を講じ、支援することです。

 教育においては古くから保育・教育についての2つのアプローチをめぐる問題があります。それは、社会や養育者が定めた目的に沿って行う「上から」のアプローチと、子供の素質(資源)を見いだすことから始まる「下から」のアプローチです。どちらも、極端にしてしまうと危険です。育成の目的から出発する一方のアプローチと子供の素質から出発する他方のアプローチとの間をバランスよく組み合わせる必要があります。これは、ARIZ85Cにおいて最終理想解を実現するために、新しい資源を発見しようとするアプローチと、既存の資源の活用方法を考えるアプローチとの間の関係と同様です。例えば、何らかの合理的手段を用いてごく早い時期から子供の教育を始め、計算、書き方、読み方などを身につけさせようという近年のはやりに、本論の筆者は共感できません。早すぎると思うからです。ごく小さな人では育ててあげるべきことは何でしょうか。それは、行動のレベルです。個人の認識の発展は人類が歴史の過程で辿ってきた認識の発展ステップを短縮して再現してゆきます。

 第一のレベルは生理的なレベルです。普通の健康な子供に育てることです。次には、このレベルを離れて感情のレベルに移らなくてはなりません。注意を集中すること、見ること、聞くこと、切り替えをすること、覚えること、十分なレベルで他の人を理解することです(図1.参照)。つまりは、以降のステップで知性を発展させるために正常な感情・感覚領域を形成することが求められます。その際、健康、健康な精神と、狭い専門的技能、例えば体操選手のような「ストレッチ」とかピアニストの「指運び」とを混同しないようにしてください。精神の健康は常に必要なものですが、専門的技能の必要性は様々です。

 人間の子供がジャングルで育ち、動物によって養育されたような事例は数多く知られています。(いわゆる「野生児」)人間の子供が7–8歳で初めて人間社会に投げ込まれた場合には、人間として育つことはほとんど不可能です。言葉を身につけることや感情レベルの「行動」を形成するタイミングを失ってしまっているからです。感情レベルの発展についてもっとも優れた著作はギッピウスの『感情の体操』(Гиппиус С.В. Гимнастика чувств.— Л.-М.: Искусство, 1967 г. )です。

 行動の発展過程で、あるレベルの発展から次のレベルの発展に移行するタイミングがいつか正確に境界を引くことは困難ですし、また、その必要もありません。隣接するレベルはお互いに拡散し、侵食し合っています。大切なのは別の点です。私たちの実験データによれば、12–14歳の子供は思考について大人となんら変わるところがありません。もちろん、私たちは思考のプロセスについて論じているのであって、学識、ある種の大人が誇る、買い置きの知識のことではありません。

 子供は成長し進歩してゆきます。ところが、12–14歳で知的能力の明らかな減退が観測されます。教育用の課題として非定型的な問題を解かせるとその結果にこれがはっきりと現れます。どういうことなのでしょうか。性的に成長したということ、その影響を無視することはできません(行動の生理レベルと情報レベルとの間の葛藤です。図1.参照)が、これだけに理由を求めるのでは無理があります。

 生物学では「個体発生は(織りたたんだ形で)系統発生を繰り返す」という法則が知られています。実際に、人類学のデータによれば、人類の個体の頭脳の進化は4万から10万年前に鈍化しました。同じようにして考えると、発展がなんらかの限界に到達したことが知的能力の減退の2つ目の原因ではないしょうか。この疑問に対する正確な回答はありません。しかし私たちは、自分の仕事上の経験に基づいて、この年齢では問題を解かせるに際に心理的な手段から非心理的な手段を用いるように導いてあげると、得られる結果の程度が下がるのを避けることができるし、場合によっては、生徒の知的レベルが向上することさえあることを知っています。

 「問題を解くことに心理的でない方法などありうるのだろうか?」
 読者が疑問を持たれるのは無理もありません。

 もちろんあります。メンデレーエフの周期表の利用、九九の表、あるいは、二次元方程式の解を求める根の公式を使うことには心理的な要素が存在しない点については読者の皆さんにも同意いただけると思います。これらは、人類が何世代も労力を注ぎ込んで作り上げた、方法レベルの行動です。優れた思考における方法的なプロセスは決して個人の心理を除外したり代替したりするものではなく、いわば、その上に被さって補強するものです。

例:
保育と教育に関連する問題を研究する国立研究所の心理学者が私たちの「少年発明家」ラボのあるクラスを研究対象として「普通のレンガで何ができるか?」というテストを行いました。研究者が得た回答の多くは「家を建てる、道路を舗装する」などの予測された回答ではありませんでした。レンガを砕いてその粉を用いる案が大量にでてきたのです。その研究者は子供たちの能力に高い評価を与えました。塊りの形になっているレンガをそのよう変化させる発想は、研究者の言によれば、才能豊かな人物のみに見られる特徴だというのです。実際のところは、調査対象となった生徒たちがTRIZの「分割・細分化」の原理を意識して適用しただけのことだったのです。

 おそらくは、この原理は創造に関連して心がもっている原理的な限界を浮き彫りにするところがあって、創造的課題を解かせると個々の頭脳の働きの限界となって現れてくるということかもしれません。

 ここまでくると、上で挙げた矛盾を解決する方法が見えてきます。人類は絶え間なく情報蓄積を増やしている訳ですから、もちろん、私たちが生徒に伝えることができるのはその一部とすら言えないほど少量です。しかし、方法を教えること、優れた思考の方式を教えることは可能です。出来合いの答えという形で生徒に情報を伝承するのではなく、そうした回答を手にいれる方法を伝承してゆけばよいのです。

 あらゆるものが変化します。しかし、その変化の仕方に見られる法則性、{製品や技術といった}システムの変化のさせ方は最もゆっくりと変化します。私たちは{TRIZ教育によって}大人にも子供にもまさにそれを教えているのです。今日、TRIZコミュニティーでは、科学的問題、技術的問題を問わず、自分の専門分野から離れた問題を次々と確実に解決し、教師として教えても良い実績を上げ、書籍や論文を書くこともできる人々が出現しています。この人たちは短時間のうちに法則性を見つけ出してそれを活用することができるのです。

 このように、行動における方法のレベルを習得すること、とりわけ、これまでの諸レベルと調和をとって一体化した形でTRIZを身につけることによって発明という行動の習得が完了します。生徒が望めば、この基礎の上に人生のやりがいとなる目的を達成することにつながる幅広い活動を企画し実行してゆくことが可能です。

 これまでに行動の4つのレベルとその間の相互移行について概観してきましたので、新しい問題設定をしましょう。それでは、4つのレベルの統一だけでなく、その間の矛盾はどこにあるのでしょうか。例えば、フロイドが取り上げている行動の生理、感情、情報といった各レベルの間の葛藤はどのようにして存在するのでしょうか。

 この点に着目して、個々の人の個別の行動や複数の人々の間の相互作用を矛盾のネットワークとして記述する理論的ツールが現在開発されつつあります。近いうちに、読者の皆さんにもご紹介できるものと期待しております。なお、生徒たちを相手にTRIZを教え始める教師は、今新たに教師になろうとしている新人のやっている研究はこうした開発に役立つ可能性があるのではないかと関心を持つのが普通です。その可能性はありますが、今創り上げられつつある創造の教育学の一要素以上のものは期待できません。

 新米の教師は情報レベルでは上手に教えることができますが、行動の感情レベルにふれることは稀ですし、方法レベルに達することは全くないことが明らかになっています。もちろん、秀でたドネツクの教師であるヴァレンチン・シャターロフが提唱したシンボル図やレジュメのようなテクニックをTRIZの教育に取り入れることは可能ですし、必要でもあります。しかし、創造的な人格を育てるテクニックについては誰をまねることもできません。このテクニックは私たちが自分で作り出すしかありません。(大量の歴史資料に基づいて明らかにされた創造的人格の評価基準については選集『迷宮の糸』にあるビョールトキンの「たたかい、探す」を参照のこと [Вёрткин И.М. Бороться и искать, в сборнике "Нить в лабиринте".— Петрозаводск: Карелия, 1988 г.])

 最後にひとつ整理しておく必要があります。TRIZそのものとTRIZの教育との間の違いは何かということです。TRIZと教育の方法との間の違いは流体力学の法則と操縦に熟達させるための教育テクニックの体系との間の違いとほぼ同じです。TRIZが技術システムの進化の法則を研究しているとすれば、TRIZ教育の方法はその理論を習得する上での人の行動に見られる法則性を研究しているといえます。

2.ウフトムスキーのドミナントの諸原理

フランスのテレビ愛好家の80%近くはテレビ放送が終わるまで眠れないか、あるいは、テレビのスイッチを切ることができません。テレビ局の投書課は「このガラクタのおかげで真夜中まで起きていなくてはならない。」「せめて、夕食のための放送中止時間を設けてくれ。」「急ぎの仕事を山ほど抱えているのに、おたくの胸の悪くなるような放送のおかげで膨大な時間を無駄に費やした。」といった投書で溢れかえっています。放送を見ているのは大人なのだからスイッチに手を伸ばして切るほど簡単なことはなさそうに思えます。しかし、「何か」がそれを妨げているようです……

 つぎはもっと肯定的な例です:

トーマス・エジソン夫人は次のように語りました。「常に興奮していて、自分が取り組んでいる問題に直接関係のないことは何も目に入らない。そういう人物を思い描いていただけば、それが仕事に取り組んでいるときのエジソンの姿そのものです。」

 全く逆向きの2つの例から引き出される結論はこういうことです。生理心理学ではよく知られたことですが、人の行動は多くの点でドミナント、大脳皮質あるいは皮質下部に生じた強くて長続きする興奮、によって決定されています。これこそが、上で触れた「何か」の正体です。ドミナントの興奮は外部の刺激に容易に反応します。(痛んだ歯や指先がちょっとした振動によって痛むのと同様です。)

 普通の人は誰でも常に、夢の中でさえ、考えていると思われます。しかし、何についてでしょうか。新しい考えはどこからやってくるのでしょうか。残念ながら、多くの場合新しい考えというものは存在しないのです。ドミナントの興奮のおかげで思考が自分の枠からはみ出ることはほとんどありません。だれでも考えたいことを自由に考えることができるようにみえます。しかし、いつも自分の望むように決めることができるわけではありません。バーナード・ショーが「多くの人は年に1–2回以上は考えない。私が世界的に有名になることができたのは週に1–2回考えてきたからだ……」と書いたのにはそれなりの根拠があるのです。つまり、長く続く興奮は、一方では否定的な性格タイプや思考の惰性(フランスのテレビ愛好家の例)の生理的基盤であり、他方では創造的な「洞察」や「ひらめき」の基盤ともなります。これが創造性に関してあれほど好まれる、入浴中のアルキメデス、ニュートンとりんご、ワットのやかん、メンデレーエフの一人占いなどのストーリーが生まれる背景なのです。外部の原因が引き起こす刺激や、その刺激によって常にかき立てられるドミナントによって、ちょっとした印象が脳を活性化させ求める解決策を引き出すことがあります。あるいはまた、誤った帰結を引き出すこともあるのです。

 ドミナントのメカニズムを最も完全で一貫した形で研究したのはアレクセイ・ウフトムスキー (1875–1942) です。それでは、ドミナントはどのようにして生じるのでしょうか。ドミナントの発達には3つの段階があります。

段階1.
内的生理と外的刺激の影響の元にドミナントが生まれる。極めて多様な刺激がドミナントを育てる要因となる可能性をもっています。「戦争と平和」でペテルブルグのパーティーの際にアンドレイ・ボルコンスキー公爵がナターシャ・ロストーヴァを初めて見たときの情景を思い出してみましょう。

アンドレイは会話の中身ではなくナターシャの幸福感が生み出している喜びにみちた目の輝きやほほえみに見とれた。ご覧になって、皆さんが私に目をとめていらっしゃるのを、それが嬉しいの、幸せだわ、私みんなが大好き、だれもがそれを知っているの、そして……、彼女のほほえみは語り尽くせない多くを物語っていた。

段階2.
この段階はパブロフの条件反射が形成される段階です。これまでにドミナントに影響を与えてきた様々な刺激の中からそのドミナントが特に「関心」を持つ一群の刺激が定まります。

公爵は遠慮がちに穏やかな表情で、彼女の前に立って話しかけた。ナターシャは頭を上げると頬を赤らめ、高ぶった呼吸を鎮めようとしている様子で彼を見た。すると、彼女の身中で一度消えた炎が再び灯ったかのような明るい光が輝いた。彼女の全てが変わってしまった。つまらない娘があのパーティのときの彼女に戻った。

注釈しておきます:パーティーのときのナターシャは全ての人にとって生気に満ち、美しく、幸福な娘だった、しかし今の彼女は、一人アンドレイ公爵にとってだけ好ましく、生き生きとして、幸せな女性になっているのです。彼女のドミナントは自身に固有の適切な刺激を発見したのです。

段階3.
ドミナントと特定の外的な刺激との間に、その刺激がドミナントを呼び覚ましそれを一層強めるという強固な結びつきが生まれます。外部環境の中の一部だけが特定のドミナントに対応するため、環境全体が個々の事物に分割されてしまいます。こうなるとアンドレイ公爵その人ではなく、その名前すらもが、他の全てと区別され、かつてアンドレイ公爵がナターシャのために創り出したそのドミナントを呼び覚ますのです。

 ここで、ウフトムスキーが明らかにしたドミナントに火がついた状態の特徴を列挙しておきます:

  • 高い興奮状態
  • 時間感覚が薄れる(高い興奮状態にあるにもかかわらず、ドミナントが続いている)、そして、最大の特徴は、
  • 外的な刺激を蓄積することができること「ドミナントが自分で自分に外的刺激を供給する。」
(A.A.ウフトムスキー『ドミナント』モスクワ、レニングラード:ナウカ、1966年 [Ухтомский А.А. Доминанта.— М.-Л.: Наука, 1966 г.])


ある少女がサイコセラピストに宛てに書いた手紙の断片です。「一番気になるのは耳です。形も大きさも大嫌いです。いつも耳のことばかり考えています。絶えず誰かが耳のことを言っているようにさえ聞こえます。もちろん私の耳のことです。例えば、ヴィソーツキー{ソ連時代に一斉を風靡した歌手・俳優}の『我らが魂を救え』を聞いていると『我が耳を救え』が{魂は Dushi、耳は Ushi で韻が同じ}に聞こえてしまいます。なんども美容師に相談しましたが、だれもがあなたの耳は正常ですよ、文句をつけるところは何もありませんよって言います。それでも、精神科はいやなんです。だって、頭をポンて直しちゃうんでしょ。簡単に言うと、だれも同情してくれないし、慰めてくれないんです。始め思ったんです。相談に行った美容師さんたちがみんなで申し合わせていたんだって。私の言うことを誰も真剣に聞いてくれないんだもの。でも、そんな申し合わせなんかなかったって、後で気づいたんです。」

(M.I.ブヤーノフ『不幸な家族の子供:ある小児精神科医の手記』モスクワ:啓蒙出版、1988年、 p.172 [Буянов М.И. Ребенок из неблагополучной семьи: записки детского психиатра.— М.: Просвещение, 1988, стр.172.])

 ドミナントの原理は人の身体の働き方の原理です。ということは、惰性的な思考、ありふれた思考と創造的な思考との間にはなんらの境界も存在しないということです。

 ウフトムスキーは次のように書いています:「論争や議論は止めにしましょう。なぜなら、ドミナントが生まれているとしたら、議論や説得では克服できないからです。議論や説得はドミナントを育て強化するだけです。というのはドミナントは常に自己正当化するもので、論理はその召使でしかないからです。

 上に挙げた例で少女は次のようにして自己正当化をはかっています:「始め思ったんです。相談に行った美容師さんたちがみんなで申し合わせていたんだって……」ウフトムスキーは続けて「悲惨なことは、人は他人の中にあると自分に思われるモノを発見し、その確信を強めてゆきますが、その他人の中にあると思われるモノとは、本人が自分の中に抱えこんでいるモノなのです。美しいモノや清らかなモノのそばを通りながら、人はそこに汚いモノを見てしまいますが、それは自分の中に汚いモノを持っているからです。これこそが、己の報いです! そこから抜け出す道はただ1つです。全ての点で自らを、自分の判断を、自分の理解を疑うこと、他人のために自分を乗り越えようとする心構え、他人のために自分を捨て去る用意を持っていることです。

 では、そのためにどうしたら良いとウフトムスキーは言っているのでしょうか。
まず第一に、数多くのドミナントを持つこと(新しい場所、新しい出会いの新鮮さが想起されます)です。第二に、自分が持っているドミナントを知るように努め、ドミナントの犠牲とならず、ドミナントを制御するように試みることです。(フロイトが用いた会話を通じた精神療法の効果は意識下のドミナントを認識するメカニズムと同じメカニズムに基づいていると考えることもできます。)第三に、創造的なプロセスに結びついたドミナントを自ら養うようにすることです。例えば、歩行や音楽がドミナントを刺激する(育成する)効果を持っていることは度々認められています。ジャン=ジャック・ルソー、ゲーテ、チャイコフスキー、レーニンその他が自分が抱えている問題について歩きながら考えることを好んだのにはこうした背景があるのでしょう。

2.1.ドミナントを矯正する方法

 創造的な探索活動とは常に外的世界と内的人格とをともに変化させることです。

 しかし、枠にはまった様式的な思考や行動の形で現れる古いドミナントは一般的にこうした探索活動を促進するようにははたらきません。それでは、目的に即した形に新しいドミナントを形成することは可能でしょうか。現代の心理学はこの問いに対して正確な回答を与えてくれません。1つ疑いようのないのは、ドミナントは宿命ではないということです。創造的な行動の教育について言えば、教育を始める前に、最低でも「場所を片付けておくこと」、既存のドミナントを矯正しておく(完全にブレーキをかけようとしても、うまくゆきません)ことが必要だということです。

 古いドミナントの矯正に関して主な生理心理的メカニズムが4つ知られています。

2.1.1.ドミナントが自然に解消される過程と結びつけてドミナントを急激に弱める

 多分、読者の皆さんはどなたも経験があると思いますが、待っている飛行機が着陸したという放送を聞いてしまうと、アナウンサーの声から緊張感が失われるように感じられるものです。

 別の例をあげましょう:ゲーテは若いころ、いわゆる望みのない恋に、どっぷりと浸かってしまい、自殺すら考えました。しかし彼は「暗い気持ちを乗り越えて生きることを決断しました。しかし安らかな気持ちで生き続けるには、人生のこの難局にあって自分が感じたこと、夢見たこと、考えたことを作品として書かないわけにはゆきませんでした。」と記しています。「若きヴェルテルの悩み」はこの「避雷針」の役割を果たしたのです。作品の主人公は必然的に著者の特徴と不幸な恋を引き継いでいます。小説のヴェルテルは自殺を遂げます。

 このように、ドミナントを弱めたことでゲーテの命が救われたとは言えないでしょうか。(日本の映画で、上司に似せた風船人形をつぶして怒りをおさめるという、同様のメカニズムが使われているのを見ました。)

2.1.2.「真っ向から」禁止する、ブレーキをかける

 従来から教師がやっているように「いけない。」「ダメ!」といった、真っ向から断固として統制する方法です。しかし、この方法はあまり効果がありません。

 こうした状態で長期間にわたって人格に制約を加えると「こうしたい」と「してはいけない」との間の葛藤を引き起こし、神経症の原因ともなります。

2.1.3.必要な行動を自動運動に変える

 私たちの「少年発明家」ラボには例えば授業の前にクラスの仲間や教師に挨拶をするといったタイプの儀式がいくつかあります。

 こうした儀式、あるいは「有益な自動運動」は授業に向け、天候や個人としての気分、学校での出来事などに関わりなく行う創造的な活動に向けた準備動作として欠かせません。もっと高いレベルでの「儀式」も考えられます。

 例えば、TRIZの教師は授業の際に他の誰かが使った例や問題を使わないことに決めます。こうすると、教師は常に新しい教材をさがしたり、自ら開発したりをしなくてはならないことになります。

2.1.4.新しいドミナントを使って以前からあるドミナントにブレーキをかける

 「5分間、何があっても白いうす気味悪い猿のことを考えないこと!」という課題が与えられたら、どうしたらいいでしょうか。こうした印象の強いイメージを頭に浮かべないようにするためにどうしましょうか。こうした禁止自体がドミナントを刺激してしまうように思われます。

 ウフトムスキーの考えでは、こうした場合に最も有効な手段は新しいドミナントを作り出して、古いドミナントにブレーキをかけることです。つまり、白い猿について考えないためには、歯をむき出した赤いワニについて一心に考えればいいのです。まさにその通り。メソメソする子供を前にした母親が、泣かないでと言わずに、子供の気持ちをそらすようにするのは理にかなっているのです。

 新しいドミナントが形成されるメカニズムについての研究は多くありません。しかし、教育実践のためには情報、感情、生理という複数の行動レベルから新しいドミナントを得ることができるということを知っておけば十分です。(図1.参照)

 一般的に情報がはたらきかける力は一番小さい、ということは理解できます。「喫煙は健康にとって危険です。」という保健省の呼びかけが医療関係者の間ですら効果がないのには理由があったわけです。

 結論をまとめましょう(この結論は、別途「行動への導入」{「TRIZ教育のステップと教育上のテクニック」参照}について論じる章で利用することになります。)他の条件が同じとすると、古いドミナントにブレーキをかける新しいドミナントを形成するには生理的メカニズム、筋肉の運動を通じて行うことが最適です。

 生理学者のパブロフは強い興奮状態を取り除くために「気持ちの高ぶりを筋肉に追い込み」、冷たい水を浴び、薪を割り、一走りすることを薦めましたが、こうした理由によるものです。神経症(つまりは病的なドミナント)を持つ人が物理的な危機に直面したおかげで健康を取り戻した例は複数存在します。また、ヨガのレッスンや、聴覚の訓練は筋肉の運動から始まります。意識への扉を開き、求められるドミナントを形成することが欠かせないのです。真っ向からの強制的な命令は「ゆっくりなさってください」ということであれ「禁煙しなさい」ということであれ、効果がないことを私たちはよく知っているのではないでしょうか。(1989年にウファ近郊で発生した鉄道事故の被害者の子供たちから火に対する恐怖心を取り除くために、サイコセラピストは子供たちが火事の絵を描くように励まし、その炎を徐々に小さくして、ついには少しも怖くないほんの小さな炎にし、その後で、本物のマッチやロウソクの炎を吹き消させるようにしました。)

 ロシアの著名な演出家スタニスラーフスキーは生理心理のこのメカニズムに基づいて俳優を養成するシステムを作りました。生徒に向かって強制的にストレートな指示を出しても頭と感情とを働かせるようにもってゆくことは困難なので、彼は迂回策を取りました。役柄の身体の動きをさせることを通じて、俳優がその役柄の「神経」を感じ取るようにさせたらどうかと考えたのです。


若い女優が夜の森の中での狼狽や恐怖の感覚を演じることがどうしてもできないことがありました。説明、つまりは言葉を使って「怖いと感じているはずだ」とどうやって説明しても、当然ですが、効果はありませんでした。スタニスラーフスキーはどうしたのでしょうか? 自分の方法を用いただけです。椅子を乱雑に並べました。これが森です。灯りを消して、他の俳優には声を出さないように言います。そして、稽古場の反対の端に腰掛けて教え子である女優に「君、森を通り抜けて僕のところまで来なさい。」と声をかけます。女優は森の中のように手探りをしながらゆっくりと歩きます。さあ、先生はここに座っているはずだわ。いないわ! 暗闇の中で手さぐりをします。いない! 暗い中で方向を間違えたのかしら? 周りは真っ暗で、物音もしません。女優は泣き出してしまいました。現実の森を歩いているかのように実際に泣き出したのです。しかし、筋肉を通じた行動はこうして役柄の感覚の発見を助けてくれました。この状況を作り出すために、スタニスラーフスキーは始め座っていた席を外したというわけです。

 スタニスラーフスキーの教授法に基づいてドミナントを形成させる方法をTRIZの教師が知っていなくてはならないのはなぜでしょうか。それは多分、教師は生徒を相手とする創造活動に取り掛かる前に、教師自身が以前から持っているドミナント(あるいは、そうでないとすれば固有の思考や行動のパターン)を調整あるいは矯正しておくことが欠かせないからです。

 全ての宗教、宗派、あるいは、現代の種々の組織に至るまでが、叙任や入会儀礼といった手続きを行っているのはこのことと関係があります。こうしたことは先進諸国の組織では入学・入社の試験であり、面談であり、試用期間といったかたちですが、産業化以前の社会の通過儀礼では明らかに生理的なメカニズムに重点が置かれています。ある寒冷地の部族ではシャーマンになる候補者は一ヶ月間を氷の小屋で過ごし、これからシャーマンとしての仕事に携わるための身体と意識とを準備するといいます。また、精神分析の基礎を作ったフロイトは精神分析医は患者の治療に取り掛かるのに先立って、少なくとも、自分自身の強迫観念(ウフトムスキーのタームではドミナント)を認識し、克服しておかなくてはならないとしていました。アルトシューラとI.M.ビョールトキンが開発した「創造的人格の人生戦略」では創造的な人々の伝記を分析した結果に基づいて、これらの人々が創造的な仕事に携わるのにあたっては、しばしば、強い印象、「奇跡との出会い」がきっかけや、理由となったことが示されています。(A.B.セリューツキー編、選集『異端者のなり方』ペトロザヴォーツク:カレーリア、1991年 [Сборник "Как стать еретиком" (Сост. А.Б. Селюцкий).— Петрозаводск: Карелия, 1991 г.] 参照)

 ここまで、私たちは新しいドミナントによって古いドミナントにブレーキをかけるという課題に関連して、生理、感情、情報の3つのレベルに触れてきました。しかし、方法レベルには触れていません。

 有効なツールとして開発された方法は、割り算の方法にしろ、TRIZにしろ、優れた(こういう表現が許されるなら)「ドミナント対策」なのです。

 方法は多くの人々の経験を集約し一般化したものですから、個人の個別特殊性や情緒に左右されることが他の行動ほど多くありません。方法の手順はコンピュータソフトウエアの形も含めて客観的な形に表現することが可能なので、通常の能力を持った人が使っても、ある程度の問題を解決できる可能性を高めてくれる効果が期待できます。

 さらに言えば、ノーベル賞を受けた生理学者のセント=ジェルジ・アルベルトは「人間の脳は思考の器官では全くなく、牙や爪のような生存のための器官だ。」という仮説すら述べています。その通りなのかどうかわかりませんが、疑うことができないのは、創造性の教育は段階が進むのに従って、次第に多くの時間を生徒が方法レベルの行動をすることに振り当てる必要があることです。

この論文は『TRIZジャーナル』No.2.2., 1991, pp.18-23に初めて掲載されたものです。

I.L.ヴィケンチエフによる2003年の注釈:

2003年10月3日TRIZ-RTV-TRTLの最初の開発者ゲンリフ・サウーロヴィッチ・アルトシューラの誕生日に彼の著作100点以上を掲載したサイト:

が開設され、また、電子書籍「TRIZ入門。基本理念とアプローチ」 ("Введение в ТРИЗ. Основные понятия и подходы") が発行されました。TRIZに関心を持つ方全員にお薦めします。

この他に次の2点の文章をお薦めします:

連絡先:
И.Л. Викентьев
тел./факс: (812) 571-27-27, 970-27-27
e-mail: info@triz-chance.ru

書誌
И.Л. Викентьев.
Психофизологицеские оснобы обучения ТРИЗ.
// Журнал ТРИЗ № 2.2. 1991 г. — с. 18-23.
(http://www.triz-ri.ru/triz/triz09.asp)

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